吉野慶一は何者?バックパッカー&脱サラを経て経営者へ成り上がり人生

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日本の大手菓子メーカーの1つであるロッテの役員を務める吉野慶一さん。

2011年には、チョコレートの製造や販売を行う「Dari K(ダリケー)」を創業し、自らも社長を務める切れ者です。

今回は、そんな吉野慶一さんのプロフィールや経歴についてまとめていきます。

かなり面白い経歴だったのでぜひ最後までご覧ください!

目次

吉野慶一は何者?プロフィールを紹介!

プロフィール
  • 名前:吉野慶一(よしのけいいち)
  • 出身地:栃木県足利市
  • 生年月日:1981年
  • 資格:英検1級&TOEIC980取得
  • 好きなもの:チョコ
  • 家族構成:妻、息子

吉野慶一さんは、慶応義塾大学経済学部を卒業後、

京都大学大学院を経て、英国のオックスフォード大学の大学院で社会政策学を専攻。

その後は、外資系投資銀行、投資ファンドで金融アナリストとして活動し、

2011年にカカオ豆の輸入・卸売り、チョコレートの製造・販売を行う「Dari K株式会社」を設立しました。

これだけの経歴を見てもかなり優秀であることが分かりますよね。

しかし、そんな吉野慶一さんにも人生の意義を見失い、バックパッカーになった時代があったようです。

バックパッカー時代に人生を変える出会いに遭遇

吉野慶一さんの中学や高校時代は特にやりたいことがなく勉強にも熱が入らなかったようです。

そして大学に進学したタイミングで旅行の楽しさに気づき、いつしか休みになるとバックパッカーとして世界中を飛び回るように。

このとき行った国は60カ国にものぼりました。

そんな吉野慶一さんに転機が訪れたのは、ラオスの古都・ビエンチャンに訪れたときのこと。

手作りの民芸品を売っていたモン族と呼ばれる山岳民族の少女に突然「お兄さん、お兄さん」と流暢な日本語で話しかけられます。

突然日本語で声を掛けられたことにびっくりし「なんで日本語が話せるの? 学校で習ったの?」と聞くと、

「学校で習ったわけではないよ。そもそもこの地域に学校はないから」と答え、恥ずかしそうにポケットから1枚の紙を取り出して見せてくれました。

そこには「いち・にい・さん」「ありがとう」「いくら」「こんにちは」などと日本語が書かれており、たまに来る日本人観光客に聞いて教わったのだというのです。

この様子を見て吉野さんは、「大学の授業がつまらない」「何のために受験勉強をしてきたのか」と大学でいろいろなことが学べる環境にいるのに、

興味のない授業には出席しなかったり、思い通りにならないことを社会や環境のせいにして文句を言っている自分が恥ずかしくなったといいます。

そして、

「同じ環境にいても、受け取り方で人生はガラリと変わる」

と身を持って体験したことで国際貢献に興味をもち、国連機関で働くことを目指したといいます。

吉野慶一が脱サラから経営者になるまでの成り上がりストーリー

では、人生に目標ができた吉野慶一さんはどのようにして経営者まで成り上がったのでしょうか。

夢を諦めて金融アナリストの道へ

イエンちゃんとの出会いが「自分もまじめに勉強しなければならない」と心を入れ替えるきっかけとなり。国連機関で働くことが夢になった吉野慶一さんですが、

当時、国連職員になるには、

  • 最低でも修士号の学位を保有
  • 英語かフランス語に堪能
  • 社会人経験3年以上

などの条件をクリアする必要がありました。

そこで吉野さんは英語力を高めるため、2002年にシンガポール大学へ留学すると、

英国のオックスフォード大学へも留学。

その後、外資系金融機関グループのモルガンスタンレーに就職し、国連機関で働きたいという夢を持ちながらも金融アナリストとして会社勤めをしていました。

韓国で訪れた2回目の人生の転機

会社員をしていた吉野さんですが、社会人3年目の2010年にまたしても人生を変える転機が訪れます。

旅行で訪れた韓国のカフェで世界のカカオ豆の産地を示した地図が目にとまります。

日本では『チョコの原料となるカカオ豆といえばガーナ』というイメージがありますが、その地図によるとガーナのカカオ豆生産量は世界第3位。

1位はコートジボワールで、2位はインドネシアとなっていました。

そこで吉野さんの当時本業だったアナリスト魂に火がつきます。

「その場で調べてみると、実際、日本に輸入されているカカオ豆の8割がガーナ産だとわかりました。アフリカのガーナよりも、インドネシアのほうがどう考えても近いのに、なぜ日本に入ってこないのか。単純に疑問を感じたんです」。

https://oceans.tokyo.jp/article/detail/28782

しかし、なぜインドネシアのカカオが日本に入ってこないのか自分だけで解決できず、実際に現地へ行ってみることに。

すると、インドネシアではチョコレート作りに欠かせない「発酵」という工程を行わずにカカオ豆を世界中に輸出していることが分かりました。

そこで「発酵させれば日本企業も買ってくれるかもしれない」と思った吉野さんは、ネットの情報をもとに見よう見まねで発酵を指導。

ただ、当然このときはわざわざ発酵の手間をかけても買ってくれる人はおらず、600kgものカカオ豆を自腹で買い取ることにしました。

門前払いされ起業へ

吉野さんが日本に帰国して数週間後、カカオ豆がインドネシアから届きます。

こうしてインドネシアから新たにカカオ豆の輸入ルートができたと確信し、計画していたとおり国内のお菓子メーカーに営業の電話をかけてみることに。

しかし、どこにかけても門前払い。

商社とも繋がりのない個人は相手にしてもらえませんでした。

このとき自宅のスペースの3分の2を埋め尽くすほどの大量のカカオ豆を見て途方に暮れたといいます。

ただ、何もせず廃棄するわけにはいかないと奮い立ち、

買ってもらえないのなら自分でチョコレートを作って売ればいいのではないか。そうするしかない、やってみよう。

https://oceans.tokyo.jp/article/detail/28782

と、まずは一緒にチョコレート作りをしてくれる人を探すためにハローワークに求人広告を出し、コーヒー豆の焙煎経験があるスタッフを雇います。

そして、当時の日本にはカカオ豆からチョコを作れるシェフがひとりもおらず、独学でパティシエの勉強し、

スタッフと一緒に寝る間を惜しんで試行錯誤を続けた結果、納得のいくチョコレートが完成。

こうして2011年1月にインドネシアでカカオ豆を買ってから、2カ月後の3月11日にカカオ豆の輸入・卸売り、チョコレートの製造・販売を行う「Dari K株式会社」を設立。

同年の4月には京都に第1号店をオープンさせました。

まさに行動力の塊ですよね。

私自身もそうなのですが、世の中に疑問を思うことがあっても実際に行動を移すまではいかない人が多いと思います。

その中で行動に移した人が成功を収めているという事実は昔も今も変わらないですね!

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